貸出白衣詳細 Aセット

※白衣のサイズはMサイズです。

明治中期

日本赤十字社の看護衣。日本赤十字社における看護衣の始まりは、1889年(明治22年)(看護婦養成規則の中に看護衣着用の規定あり)、明治23年のトルコ軍沈没事故救護時の写真では洋装が確認されている。写真のものは1910年(明治43年)日本赤十字社制定の看護衣。規定には「身丈の長さは足関節、袖の長さは腕関節まで」「素材の地質は白キャラコ」とある。看護帽は両側面に8か所ずつひだをとり、16弁の菊花を形どったと言われている。(※2)

(※2)参考資料  日赤中央女子短大史研究会「日本赤十字看護教育のあゆみ」

昭和中期

第二次世界大戦後、保健衛生法、環境衛生法が制定され、環境衛生関連業種に「清潔な白衣の着用」が義務付けられる。展示は昭和31年(1956年)に指令された「厚生型デザイン」で多くの病院で着用された。時代を反映して着丈が短くなったほか、袖丈も「長袖」「七分袖」「半袖」などバリエーションが増えてくる。

昭和中期〜昭和後期

高度経済成長期、看護衣の素材・色・形・丈の形の多様化が起こる。しわのできにくさや洗濯の便利さなどから、綿中心だった素材にポリエステルなどの合成繊維が使われ始める

昭和後期〜

防透性や制電、制菌といった機能を追求した素材開発が進み、以降の機能性+ファッション性の融合という基本コンセプトが完成。

現代

看護婦から看護師への呼称の変化に象徴されるよう、よりプロフェッショナルさや、ハードな動きが求められるようになり、ワンピースタイプからツーピースタイプが主流になりナースキャップが減少傾向に 。優しさと凛々しさ、信頼と安心、尊敬とおもてなし・・・様々なコンセプトのハイブリッド型白衣や米国発スクラブ型白衣などが登場。また、ストレッチ性や冷感・涼感素材など、素材機能もさらに向上。